Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

赤色のワンピース

 もう、ほとんどの曲を脳内再生できるし、ライブに行って生演奏を聴いているとあまりの心地良さに目を閉じてしまうので、目の前で本人が唄っている現実感を失ってしまう。それでも無性に「あの空気」に浸りたくて、思い出してはホームページでライブのスケジュールをチェックしてきた。数カ月おきに何度か、純度の高い感情に飢えた頃にちょうど近場でライブがあって、それを楽しみに過ごすのが当たり前になっていた。虫のいい話だけれど、それが永遠に続くような気がしていた。

 今年は2月に池袋の鈴ん小屋、3月に神保町の視聴室にいった。恒例の自由学園「桜の木の下で」に所用で行けなかったのが心残りだ。神保町の視聴室では聴きたかった曲を次々に演ってくれて嬉しかった。この日はどういうわけか、棘のある歌詞が突き刺さるように痛くて「恥ずかしい僕の人生」は聞いていて居たたまれなかった。曲の終わり際、音源とは違うアレンジで何小節かメロディーをガンガン弾きまくるのだけれど、その旋律に叫びながら走り出したい衝動に駆られた。

 優しすぎて痛いのだ。この人の唄は、いつも優しさの中に痛みを感じる。

 昨年、父が亡くなったのだが、中学生の頃からずっと会っておらず、再会した時は三十代の半ばになっていた。その後、また十数年の年月を置いてから何度か様子を見に訪ねたが、たいした会話もないまま逝ってしまった。ずっと反面教師で認めたくなかったはずの父の顔を見に行く気になれたのは、もう父の存在が小さくなったからなのか、わだかまりが溶けてしまったからなのか。自分自身が年齢を重ねながら、不器用なところ、頑固なところを自覚する度に、ふと父が頭をよぎる。この年齢になってみて、ようやく分かるようになったこともある。

 でも実は、自分の心がほぐされていったのは、早川さんの唄を繰り返し聴いてきたからだったように思っている。若い頃は『♪同じ血が流れている♪』ことから逃げることができず、どう受け容れればいいかも分からなかった。実際に自分の父と心を通わせたわけでもないのに、いつの間にか反目する感情は失せてしまった。『♪そんな可笑しな父さんが ぼくは困るけど好きだよ♪』自分勝手だけれど、生前こうしておけば良かった、といった後悔が全くないのは非常に有難くて、前を向いて生きていける。

 あの夏。小田急線の中で「たましいの場所」を読みながら鎌倉に向かい「言う人は知らず知る人は言わず」を聴きながら江ノ電に乗った。今も状況は変わらないはずなのに、あの頃のように「この先、どうやって生きていこうか」なんて迷いはなくなった。なるようになるし、なるようにしかならない。

 この人の唄の数々が自分の人生と共に流れてきて、少なからず影響を受けてきた。早川義夫というアーチストの存在は、独創的で唯一無二、かけがえがない。ライブ活動の休止と聞いても、また『いつか』再開のお知らせが届くまで、気づかないふりをして生きていくしか術がない。途方に暮れている。