Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

平成最後の夏

・7/25(水)深夜に唐突に遠縁からの訃報が入った。前に会ったのは5年くらい前。翌朝、病院に向かうと普通にベッドに寝ていた。情報が錯綜していたようで、生きていた。少し言葉を交わして「また来るから」と言い残して、そのまま荷物を取りに戻ってフジロックに出発した。

・7/26(木)前夜祭〜7/29(日) フジロック20周年の今年、個人的には15回目だったかな?2002年に最初で最後のつもりで参加してから、ほぼ毎年のように。ウッドストックな雰囲気に憧れて「生まれてくるのが遅すぎた」と感じながら生きてきたが、今はフェスおじさんとしての誇りを抱いて生きている。背伸びしなくてもボブディランが聴けるようになったのだな、と感慨に浸りつつ、まだ現役で演ってる本人が別格過ぎてひれ伏したい。

・8/2(木)浅井健一 アコースティックライブ。久々の横浜、1994年に住んでいた戸塚の社員寮は今はもうない。リリース時期が重なる「幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする」「THE SIX」が当時の想い出にBGMで流れる。この日のライブではブランキーを何曲も演ってくれたので懐かしさで大興奮。長い間、あの街の、あの世界観の住人だった。

・8/5(日)〜11(土)夏期スクーリングで経済学と統計学のお勉強。1990年に機械工学を学んでいた頃、数式を解くのが苦痛で仕方なかったが、それに比べれば「ちょろい」と感じる数式とグラフ。昔とった杵柄で何とか付いていけた。新たな学びの収穫もさることながら、自分の脳内に力学や数理最適化の思考回路がしっかり息づいていることを再認識させられた。それが諸刃の剣なんだけど。

・8/13(月)日比谷の映画館で「ブエナビスタ・ソシアルクラブ〜アディオス〜」前作は1998年に大阪で仕事をしている時に映画館で2回観た。大阪は鬼門、心身共に疲れ果てていた。ストーリーなきキューバ音楽のドキュメンタリーをぼんやり眺めて癒された想い出、苦さと心地良さが蘇る。大阪は中国より手強い(当社比)。ただ、あの経験があって今があるような気もしている。

・8/14(火)〜16(木)帰省 実家とは言っても此処に越してきたのは高校一年の時で、よくよく考えると自分が住んでいたのは3年弱でしかない。母から二代、三代遡った先祖の話を聞いて、我が家系にも戦争の傷跡は色濃いのだと改めて知った。

・8/16(木)85歳がん患者、病院で86歳になる。なんだかんだで週に1〜2回は顔を出して、頼まれた買い出しなどをするようになった。血のつながりも戸籍上の繋がりもないけれど、幼少期にパパと呼んで育ててもらった人。5歳で生き別れてから、こちらが成人して訪ねていくまで一度も会わなかった。その後は10年に一度くらいは顔を合わせたが、短時間で深い話をしたことがない。病院でもたわいない話ばかりだが、幼少期の断片的な記憶から時空を越えて目の前に寝ている老人、親近感を覚えるのを不思議に感じていた。

・8/21(火)イースタンユース X 怒髪天 極東最前線 現在進行形で一緒に年齢を重ねながら聴ける数少ないバンド。フジロックのグリーンステージ熱演から間もなかったが更にバッテリー充電。怒髪天は生ライブは初めてで、1999年の夏に繰り返し聴いた「サムライブルー」ようやく生演奏を見ることができて感無量であった。

・8/26(日)鎌倉・江ノ島 就職した新潟から夏休みにひとり旅で上京した1989年、まだ土地勘がなくて駅の路線図を見ていたら吸い込まれるように鎌倉に呼ばれた。いくつか寺を巡って予期せぬ人との出逢いを重ねるうち、いろいろ抱えていた悩みが吹き飛んだ。以来、何かきっかけが欲しい時には旅に出る。鎌倉は最も手軽で縁起の良いパワースポット。そういえば、養母に連絡したのが鎌倉駅の電話ボックスからで、その流れから養父のところに初めて訪ねたのだった。あれから約30年?(汗)今回は天気が良い「平成最後の夏」で来たけれど、この1カ月余り過去を振り返る出来事が続いたせいか、柄にもなく自分の半生が頭を駆け巡った・・・オレ死ぬのか?(笑)

・8/29(水)86歳がん患者、亡くなる。苦しまず眠るように息を引き取ったと聞いて安堵した。最期の1カ月をこうして共に過ごすことになったのは、縁があったんだかなかったんだか。結局、何も深い話はしないまま逝ってしまったけれど、このタイミングで改めて生きること、死ぬことについて考える機会をもらえたことに感謝している。ありがとうございました。

 これらの出来事との因果関係は分からないけれど、ひとつ大きな意識の変化が自分の中であった。この20年来、頭の中を占めていたパズルが解けてすっきりしている。エントロピーが「不可逆性を示す状態量」であること、それがマスターキーになって閉じていた全ての扉が開いてしまった(なんのこっちゃ)。ふわっとしたスピリチュアルな話ではなく、自然科学のアプローチから(それでも未知の領域は大きいけれど)世界を見通せるようになって、宇宙との一体感がある。これについては、そのうち別途まとめるつもり。

 平成最後の夏、こんな出来事が絡み合いながら過ぎていった。何かが閾値を越えた実感がある。