Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

感じて、ゆるす仏教

 いろいろあったんだけど、どうしても読みたくて発売後すぐに買い求めた本。お二人の対談を聞きに葉山の藤田一照さんの庵を訪ねたことがあるが、知的興奮で脳が沸騰しそうだった。この本の出版にあたってもオンラインで長時間の対談をしています。

 藤田一照師と対談! https://youtu.be/8TZHwp04DT8
 藤田一照師と対談!・二柱目 https://youtu.be/ZtdkEyaHfqo

 第一章は藤田一照さんの修行半生について。単身アメリカに渡って修行しながらの布教活動、結婚や育児といった家庭生活が現在の修行スタイルや仏教観に影響したエピソードは身近に感じられ、とても面白くてあっという間に読んだ。

 第二章、第三章は、その抽象的な概念について論理的に整理していく知的な対話で、少し読んでは頭の中で整理してからでないと読み進めることができず、かなり時間を要した。間をあけて二度、三度と読んでようやく内容を理解できた気がしている。

 内容に関係なく素晴らしいと感じたのは、藤田一照さんと魚川祐司さんの対談に臨む姿勢。相手に敬意を払いながらも、時には矛盾点を手加減なく追求するモードになる魚川さんを、藤田さんは気負うことなく受け止めて、時には詰めの甘さを認めながら切り返していく。高い次元の信頼関係と緊張感が会話に漲っている。

 普通これだけ相手に徹底的に切り込まれたら、気分を害して威圧的に防衛したくなりそうなものだが、感情的なやり取りは一切なく、指摘された矛盾点を即座に論点に切り換えて意見交換が始まる。特に年長者である藤田さんが、フラットな立ち位置で自説への指摘に耳を傾けるところが素晴らしい。パワハラやマウンティングの蔓延が問題になる昨今、純粋に新たな発見や気づきを求める姿勢、高い目標や共通のビジョンがあれば、年齢差や立場の違いは乗り越えられるものだと再認識させられた。

 本書のテーマは「命令して、コントロールする」ではなく「感じて、ゆるす」の坐禅・瞑想スタイルの違いになるが、ふだん「藤田一照ポッドキャスト」を聞いている自分には馴染みのあるテーマであった。このため「なんとなく」分かっていたつもりだったが、個人の抽象的な主観を言語で共通理解に落とし込んで、尚且つそのプロセスを整理するには、これほどまでの厳格さと奥深さを求められるのかとハードルの高さを思い知らされた。それに挑む論理的なコミュニケーション力、豊富な知識と実践から得られたエピソードの数々に、心地良い刺激を与えてもらえた。

 お二人の意見が食い違う「ガンバリズムの必要性」については、同じ現象を異なる立ち位置から表現しているだけのように思えた。まさに禅問答のようにとらえどころない藤田さんのコメントと、そこのギャップを懸命に埋めようとする魚川さんの解説により、抽象的な構図が明確に把握できた気がする。(魚川さんは「仏教思想のゼロポイント」で「高度な緊張と絶望を経て、それが緩んだ瞬間に決定的な経験をする」と説明している。冒頭で紹介したYoutube配信の中では、藤田さんも似たような見解を述べて、魚川さんが思わず「おっ、それはぼくが言ってたことじゃないですか?」と嬉々として突っ込む場面があって笑ってしまった・・・)

 そして、この「ガンバリズムの必要性」は何も仏教に限らず、人間の成長に関わる普遍的なプロセスとして、フラクタルな世の中の様々な現象が読み解けそうな気がする。仏教界にとってアウトサイダーである魚川さん、そのスタンスの観点が我々に分かりやすく伝わる要素であり、彼の活動に敬意を表したい。そして高い次元で討論できるこのお二人の存在と出逢いに感謝したくなる。

『感じて、ゆるす仏教』の「はじめに」を全文公開します|ニー仏|note

感じて、ゆるす仏教

感じて、ゆるす仏教

※蛇足:この本とは全く関係のない流れからスピノザ倫理学に触れる機会があって、共通する概念の多さに身悶えしているところ。