Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

ほぼ墨子?

5年前にこんなことを書いていました。

「改革者は、やがて追われる」・・・当時の自分は、このフレーズにあまりピンと来ていなかったようです。それが今や身に沁みるようになったのは、それだけ成長した(辛酸を舐めた)ということでしょうか。

ここ数年で、宗教の歴史に関する本を読み漁りました。もともと関心があった仏教と、ヒンドゥー教チベット仏教との関係。全く関心が持てなかったキリスト教について、ユダヤ教との関係、宗教改革の歴史、カトリックプロテスタントアメリカ建国と政治への影響。

そこには人間社会が逃れられない普遍性があるように感じました。そして、現代社会の変化に於いても、似たような物語が繰り広げられている気がします。

そんな感慨から過去の自分の失敗を答え合わせしていたら、心の隙間に韓非子の一文が飛び込んできました。随分と昔に入門書を読みましたが、当時は孫子と同様で「当たり前」な印象でした。それはビジネスに役立つ部分のみを抜き出した解説本で、本当にエグいところには踏み込んでいなかったようです。今になって「孤憤」あたりを読むと身悶えします・・・。

ぼくの人生観には孔孟の教えが根付いていますが、技術者として新たな挑戦をする上では相容れない点が多くなり、そのジレンマは後に陽明学に救われました。そこで「辿り着いた」感覚がありましたが、この度の韓非子の目覚めに反省して軽くおさらい。マイナーな存在でスルーしていた墨子に改めて深い共感を覚えています。

というか、自分の主張って「ほぼ墨子」だったのでは???墨子のフォーマットに価値観(哲学?思想?)を置き換えることで整理してみたいと考えています。

追記:

 墨子の「十論」については、
・「兼愛」「非攻」「尚賢」「尚同」「節用」「節葬」「非命」ここまで完全に同意。
・「非楽」で袂を分かつか!?と思ったものの、これは節制や勤勉を説いたもので音楽そのものの否定ではなかった。年に何度かライブハウスや野外フェスに出掛ける程度は「問題なし」ってことで。。
・「天志」「明鬼」は非科学的で宗教っぽいが、現在の自分には(超訳して)方便として解釈できる。儒家の属人的な徳治主義を批判して、皇帝の上に「天帝」を奉るのは後の法治主義につながる組織論と矛盾しない。また、墨子集団は紀元前とはいえ軍事組織として自然科学に精通していた。自然の原則に抗う行為に「鬼神」が罰を下すと戒めたのも理に叶っている。

 三代目孟勝が「弟子180人と集団自決」した伝説からは、過激なカルト教団臭が漂ってくるが、ここだけは断じて!相入れない・・・そして、どうやらこの辺りがぼく自身の仕事観、人生観、死生観、みたいなものに繋がっていたようだ。そのことに気づかされた。

さらに追記:墨子に対する批判は、そのまま自分に当てはまる。荀子は「墨子は実用性を重視するあまり装飾性を忘れた」と指摘している。荀子は評論家目線になり過ぎるきらいはあるがバランス感覚に優れていると感じる。「ストイックに働きながら野外フェスに出掛ける」オレ様の行動理念は荀子によって正当化された!w