Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

新聞ブログ

 ちょうどクライアント先に、「すぐにWeb(ブログ)に掲載→定期的に新聞にまとめて配布」といった提案をして、言葉ではなかなか伝わらないだろうからとサンプルを作成してメールで送った数時間後。
 セレンディピティな感じで、このニュースが目に飛び込んできました。

シックス・アパートと中央大学・松野良一研究室が小学生を対象とした『新聞ブログ・プロジェクト』を開始

 以前、日経新聞さんの「メディア探究プログラム」で中高生向け新聞制作コースの開発をお手伝いしたことがあります。その時に似たような経験をしたもので、実際に形になった新聞のサンプルを拝見して「おおーっ!」とひとりパソコンの前でどよめきました。
 よくよく見ると、レイアウトは固定されたテンプレートみたいですね。新聞が新聞らしく見える理由は「題字」にあり、というのを再確認させられました(笑)。

 小学生だったらこれぐらいが適当か、と感じつつも、現場のいろいろな制約を鑑みた上でも、もっと発展させることはできそうです。今後に期待します。偉そうに。

 前述の「メディア探究プログラム」で印象に残っているのは、情報の発信者と受信者という関係性だったり、記事として取り上げる際の「視点」というものが、実は大人でもピンと来ない人には来ないものであるということ。
 情報配信ツールが一般にも普及して、ビジネスマンならば普通にメールなどを使いこなしていますが、だからといって社外へのプロモーションにも参加できるかというと比率はグッと下がります。ここで求められるのは、ツールの操作云々とは別のアナログなスキルですから。
 子どもの頃から「新聞ブログ」みたいなツールに慣れ親しむことで次世代のコミュニケーションスキルが高まることを期待する一方で、ツールに触れただけではそれが簡単に身につくものでもないため、その先にある課題についても考えてしまいます。

 ツールの使い方をいくら教えたところで、それを使って価値のあるものをつくり出せるかどうかは全く別、ということは、デジタルメディアの教育に携わってきた中で常に直面してきた課題です。
 ネット社会はスピード勝負ですが、事実を正確に伝えるだけでなく、情報を組み立てて新たな捉え方を提示したり、事実の違った見方について検証したりといったその先の展開にこそ醍醐味があります。
 そこを「センス」で片付けてしまうか、スキルとして体系化していくか、といったあたりで、訓練の質やスタイルは大きく異なります。ぼく自身は後者からアプローチしているものの、最終的には前者で決まってしまうものだと考えています。ずるいですが。

 センスってなんなんでしょうね〜。