鈴木敏夫の「南の国のカンヤダ」
— ヨシムラヒロム (@numnun) 2023年4月15日
さくらももこの「やきそばうえだ」
共に頼まれていないのに、著者がスポンサーとなり、東南アジアに飲食店をオープンする話である
読後感が異なり、あっけらかんと書く後者のほうが読んでいて気持ちいい。前者は理論武装がすごい、レヴィ=ストロースまで引用されるし
スキャンダル報道?の中で、このツイートが目に止まり、なんだか自分に足りないものが得られそうな気がしてw、よせばいいのに図書館から借りて読んでしまいました。。
出版業界とは縁がありませんが、売れっ子作家を中心に各社の担当者の輪ができて、組織を超えた絆が生まれることは想像できます。この「やわらかな横のつながり」にも主従関係は存在します。
気心の知れた担当者を作家が呼び出して、本来の業務と関係ないことに巻き込んだとしても、会社にとっては営業活動の一貫であり、作品のネタづくりを兼ねていたりもすれば、間接的にビジネスにつながります。
さくらももこさんの場合そうやって担当者を巻き込んで、実名で作品に取り上げる芸風だったようです。「バリ島に焼きそば屋をつくる」は口実で、目的は面白おかしいハプニングを起こすことです。関係者が振り回される様子の描写は、まさに彼女の漫画のようで笑いながら読みました。
こういった構造は芸人が出演するバラエティー番組などでもよく見掛けますが、もし中心人物が女性マンガ家でなく男性の権力者だったら?・・・と考えると、笑い話では済まないケースも出てきそうです。
鈴木プロデューサーが、そういった「横のつながり」を大切にして仕事をする人であることは、他のジブリ本やポッドキャストなどで存じ上げていました。
そして「南の島のカンヤダ」巻末のエピローグには、唐突に「高畑勲の苛立ち」という章が差し込まれていました。高畑勲と宮崎駿、この両者の抜き差しならない関係は有名ですが、その間に鈴木さんが入って猛獣使いを演じてきたことも、ジブリ成功のひとつの要因だったことは間違いありません。
この本を通じて鈴木さんは、失われた日本の原風景、ゆるやかな人と人のつながり、それらが生み出すハプニングの連続性から「クリエイティブとは何か?」を問うと共に、それを断ち切ろうとする「近代合理主義」を批判したかったのではないか?・・・そんな印象を受けました。
憶測ですが、高畑さんが亡くなって人間関係のバランスが崩れた影響が考えられます。功罪ありながら化学変化をもたらしてきた「圧倒的に理不尽な存在」を失って、社内は大人しいイエスマンばかり?そんな状況に危機感を覚えた?時に、予測不可能なカンヤダさんの行動、それに振り回される周囲の様子から、何かしらの期待(可能性)を抱いてしまったのではないかと。。
それはそれで問題だとは思いますが、巷で騒がれたような「愛人スキャンダル」とは問題の質が違うように感じています。そういった意味では、ぼくは少し鈴木さんに同情的です。
それはそれとして、ぼくはピクサーの(合理的な)マネジメント手法を崇拝しています。それがジブリに合わないのは百も承知ながら、後継者が育っていない現状と今回の騒動にも「やわらかなつながり」を感じています。次回作『君たちはどう生きるか』を観た後は、作品の感想はもとより「ジブリはこれからどうなるのか?」考えさせられそうです。