Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

悟った後、木を切り、水を運ぶ。

「悟りの前、木を切り、水を運んでいた。悟った後、木を切り、水を運ぶ。」

・・・こんな言葉が、たまたま読んでいた本に出てきました。

 本のテーマとは直接的に関係なく、補足の説明のエピソードで出てきたものですが、妙に心に残りました。禅の諺らしいですが、出典が定かでなかったので、百度バイドゥ)で中文検索してみたところ、いくつか引っ掛かりました。その中から、こちらを意訳しました。 

 ある日、若い僧侶が老僧に尋ねた。
「老師、悟りを開く前は何をしていたんですか?」
「薪を割ったり、水を運んだり、経典を唱えたりしていた。」
「それでは、悟りを開いた後は何をしているのですか?」
「薪を割り、水を運び、経典を唱えている。」
 若い僧侶は、困惑して尋ねた。「老師、何か違いはありますか?」
 老僧はひげを撫でながら、笑ってこう言った。
「悟りを開く前は、薪を割っている時には、水がめに水があるか心配していた。水を運んでいる時は、経典のことを考えていて、経典を読んでいると、まだ薪が切れていないかと思い、その繰り返しが続いて心も体も疲れ果てて、何もうまくいかなかった。」
「あなたは悟りを開いても、それを続けています。どう悟ったのですか?」
「悟りを開いてからは、薪を割るときは薪割りをし、水を運ぶときは水を運び、経典を読むときは読経をした。心に雑念がなくなり、不安もなくなり、自然と前向きな気持ちになれた。」
 自分で言うのもナンですが「先を読む力」を武器にしてきたので、思い当たるフシは多々あります。むしろ意識して「先を読まない」工夫が、最近の自分には足りなかったかもしれません。
 割と広く知られた諺のようで、ちなみに英語で検索するとこんな感じで出てきます。

“Before enlightenment chop wood, carry water. After enlightenment chop wood, carry water.” ~ Zen Proverb