Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

なぜか、ソニーの歴史

平井さんの本を読んだ後、近年のSONYについて検索していたら気になる記事を発見・・・

ーーー 確かに、ソニーの業績が回復してきたのは、吉田(憲一郎、現ソニー副社長兼CFO)さんが、子会社のソネットからソニーに戻ってからのことです。

ーーー 吉田さんの功績は大きく、平井さんだけでは今のソニーの業績改善はなかったかもしれません。

丸山:わけのわかんないストリンガーの覚えがめでたくて、彼に可愛がられていた平井さんがトップになっちゃった。

ここでも現CEO吉田さんの名前が出てきますが、クチうるさいOB(笑)からも吉田さんは高く評価されているようです。

丸山:(中略)ただ、平井さんの代表取締役就任は意外とよかったかもしれないと俺は思っているんだよね。多分、平井さんは、自分がめちゃくちゃ優れてるとは思っていないんだよ。だから、よかったんだと思う。

・・・思い起こすと、某大手メーカーのサラリーマン時代に「我が友、本田宗一郎」で井深大さんの人柄に触れると共に、「学歴無用論」「MADE IN JAPAN メイド・イン・ジャパン」など盛田昭夫さんの本から大きな刺激を受けました。それから、ものづくりとマーケティングの両軸について考えるようになった気がします。

当時のSONYは憧れの存在でしたが、2000年を過ぎる頃には自分の周りのガジェットもApple製品に置き換わってきました。会社としての動向もあまり詳しく追い掛けていませんでしたが、この機会に「SONYの歩み」を振り返る価値があるように感じて、少し前の本から目を通してみました。

プレステの生みの親である「鬼才」久夛良木さんの強烈な個性について、お噂はかねがね耳にしていましたが・・・平井さんの著書につながっていく話が多かったです。

大賀社長の時代には既に組織の官僚化が進んでいたのか、ゲーム事業はSONY本体からエスケープさせてSMEソニーミュージックエンタテイメント)の丸山さんが後見人になりました。SMEに入社していた平井さんがゲーム事業を手伝う縁がこうして生まれます。

これ「平井改革」の本なのですが・・・「はじめに」で既に吉田憲一郎さんが大きくフィーチャーされていて面食らいました。

ソニー社長の平井一夫は個性豊かで有能な経営幹部を従え、構造改革を繰り出したものの、なかなか成果を引き出せずに業績低迷に陥っていた。そんなとき、子会社のソネット社長だった吉田憲一郎と出会い、その才能にほれ込み、三顧の礼で番頭に迎え入れた。その後、吉田が矢継ぎ早に打ち出した改革が功を奏し、業績を回復させていく。まるで現代版の三国志を再現したようだ。 

ここで軍師:諸葛孔明に例えられていた吉田さんは、経歴から堅そうな印象を受けましたが、自ら志願して転属したソネットを上場させ、ストリンガー時代にも戻るよう度々要請があったのを固辞していたそうです。ソネットの完全子会社化に抵抗して本社サイドと対立しましたが、「異論」を求める平井さんの要請に応えて(結果的にソネット上場廃止となったこともあり)本社の経営に参画、これがSONY再生の本質的な原動力になったという見方です。

世界中を飛び回って「KANDO」を広めた平井さんと異なるアプローチで、グループ全社に「パーパス」として浸透させ、各事業の評価指標にROEを導入、いたずらに規模を追わない体質に構造改革して、懸案だったエレキ部門の黒字化にも成功しました。

吉田:個人的な話になりますが、私の息子が自閉症でして、週末の一日は必ず彼と過ごすようにしています。

ダイバーシティ」や「インクルージョン」の大切さが叫ばれる昨今、個人的に自閉症とのコミュニケーションに関心があったので、これを目にした時はハッとしました。確か創業者の井深大さんにも、生まれつき障がいを持つお子様がいたはず・・・。

また、吉田さんの右腕として現CFOの十時(ととき)さんもSONY再生のキーマンとして名前が挙がっています。やはり堅い印象を受けましたが、ソニー銀行を創業した際に発行していたメルマガが本になっており、ユーモラスな人柄が伺えます。

その十時さんが担当していた新製品や新規事業の創出を目的としたプロジェクト

う〜ん、この評価はどうなんでしょう。「さすがSONY!」と感じられる新たな製品やサービスには近年お目にかかっていないような・・・難しいのは百も承知ですが。

 

こうして振り返ってみると、平井さんの最大の功績は(ご本人と同様に)「傍流にいた人材をSONY本体の経営陣に登用した」つまり人事なのですが、大役を果たして自らは潔く退任したところに「必然」のようなものを感じました。自らが社長の座に執着していたら、全く違う流れになっていた可能性があります。逆説的ですが、ワンポイントリリーフの「再生請負人」感覚だったからこそ、構造改革に成功できたのではないでしょうか。

 

尚、何かと「凋落の戦犯」のように言われがちな出井さんですが、この連載を読んだら大賀さんに抜擢された理由がわかる気がしました。

若い頃、海外勤務中に本社と対立して帰国させられ、懲罰人事で倉庫の管理にまわされても腐らず、文系ながら理系ポストの事業部長に志願して不採算部門を建て直すなど、やはり「異端」に感じられるエピソードに好感が持てました。

小澤征爾さんと幼なじみだったんですね。(それで大賀さんから選ばれたわけではあるまい・・・w)

創業期のSONYに憧れを抱いた者としては、強烈な個性を持つ(久夛良木さんみたいな)技術者がいなくなり、財務畑の出身者が舵を取る現状には一抹の淋しさも覚えます。それでも現経営陣が、エレキとは畑違いの事業を次の柱に育てた「本流ではなかった方々」であるところに、受け継がれてきたDNAの存在を感じました。

(そしてぼくの中では、「あのSONYですら大企業病に陥ってしまった、それを防ぐ方法はないのだろうか?」と考えて取り組んだピクサーCEOのエド・キャットムルは ネ申 !!)