Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

公〈おおやけ〉 日本国・意思決定のマネジメントを問う

猪瀬直樹、作家生活40年の集大成!?かねてからの宿題を、緊急事態宣言の真っ最中のゴールデンウィーク、まさに現在進行形のテーマとして読みました。

「公〈おおやけ〉 日本国・意思決定のマネジメントを問う」猪瀬直樹

第1部 新型コロナウイルスと意思決定
第2部 作家とマーケット
第3部 作家的感性と官僚的無感性

 コロナ禍におけるリーダーシップと意思決定の課題は、無謀な日米開戦を招いた構造と何も変わっていないと第1部で問題提起した上で、第2部では日本の文学を分析して自身が作家として世に出るにあたって何を考えていたか綴られています。第3部では、全共闘の活動から修行時代、作家デビュー、そこから行政改革の活躍につながって副知事への抜擢、東日本大震災の対応から、都知事に就任してオリンピック招致に成功した後に辞任に至った経験を振り返ります。

従来の政治家にない発想で権力構造の壁を乗り越え、硬直した組織の改革を成し遂げてきた猪瀬氏は、従来の政治体制から見れば脅威であり、多くの反感も招いたことと思います。

 道路公団民営化をやったり都知事をやったりしたから、僕を政治家と勘違いしている人がいるが、そうではない。

 道路公団民営化は行政を動かすために強引な情報公開をやったのであり、都知事も「首都庁長官」と思っていた。政治家でなく「スーパー官僚」としてスピード感をもって縦割りの役所を動かそうとしたのだ。行政は法律に縛られるが、実際にはほとんど運用で動いていくのである。作家的な感性とマネジメント能力でたいがいは解決できた。

 だから僕はちょっと倣慢になっていたかもしれない。そこのところを足を掬われた。自らの落ち度で招いたことで反省している。

 オリンピックに関しては、当初の招致コンセプトから大きく変質して、予算規模も膨れ上がってしまいました。猪瀬氏は多くを語りませんが、組織委員会の人事にあたって政治的な駆け引きが活発化していた中での辞任劇は、さぞかし無念だったことでしょう。

第2部の文学批評はテーマからやや逸脱するようでありながら、文学に見識の浅い自分にとって新鮮な感想でした。カズオ・イシグロの作品を”「公の営み」の中に描かれる「私の営み」”、晩年に元号研究に取り組んだ森鴎外を”家長としての作家”、”天皇制国家を支える司祭の自覚”と高く評価しながら、「自殺未遂すら手段に」私生活を売る流行作家、戦時中ですら「国際情勢に疎く文士と呼ばれて無頼風に振る舞っている」姿勢は批判的に見ていたようです。猪瀬氏は作家としても独自性を追求した改革者であり、だからこそ政治の世界でも独自に活躍できたことを再認識しました。

本書の結びでは、このようなメッセージが読者に送られています。

官僚機構は、政府だけではない。民間にもある。立ちはだかる壁が見えていれば、すでにその読者はクリエイターである。

一方で、改革者が権力の座に長く就くことは叶わないのが、人間社会の原則としてあるように思います。辞任後に書かれた著作の中では、医療や介護の課題を指摘していたらしく、それは新型コロナの発生で表面化してしまいました。コロナ対策で構造的な問題の弊害が繰り広げられている現在、猪瀬氏だったら何をしただろうかと考えずにはいられません。