Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

ブレイントラスト 〜 ピクサー流 創造するちから 〜

読み終えて深い感銘に包まれたものの、言いたいことが溢れてまとめることができず(もう7年前!?)、周りに大絶賛で薦めたっきり宿題になっていました。

創造性を阻害するものは数多くあるが、きちんとしたステップを踏めば創造的なプロセスを守ることができる、というのがこの本のテーマだ。ピクサーがたどっているステップをこれから紹介していくが、私がとくに重視しているのが、不確実性や不安定性、率直さの欠如、そして目に見えないものに対処するメカニズムだ。私は、自分にはわからないことがあることを認め、そのための余白を持っているマネジャーこそ優れたマネジャーだと思っている。それは、謙虚さが美徳だからというだけでなく、そうした認識を持たない限り、本当にはっとするようなブレークスルーは起きないからだ。 マネジャーは、手綱を引き締めるのではなく、緩めなければいけないと思う。リスクを受け入れ、部下を信頼し、彼らが仕事をしやすいように障害物を取り除く。そしてつねに、人に不安や恐怖を与えるものに注意を払い、向き合う。それはマネジャーの義務だ。また、成功するリーダーは、自分のやり方がまちがっていたり、不完全であるかもしれないという現実を受け入れている。知らないことがあることを認めて初めて、人は学ぶことができるのだ。

今こそ書評にまとめよう!と思って読み返してみたものの、要点だらけでやはりまとめようがない・・・ひとまず感想として書きなぐっておきます。

 著者のピクサーCEOエド・キャットムル氏は、コンピューター・グラフィックスの基本的な特許をいくつか持つ技術者で、SIGGRAPHの論文審査を担当するなど学術会でも認められた研究者です。ピクサーのビジネス面の立役者としてはスティーブ・ジョブズの功績が大きく、クリエイティブ面は監督のジョン・ラセターが牽引しました。それに比べると、エドの存在感はいささか地味な印象に見えます。

前身であるルーカスフィルム時代からの代表者で、スティーブが買い取った頃には業務用ハード&ソフトが主力商材でしたが、赤字を垂れ流し続けていました。ビジネスマンとしての実績には疑問符がつきますが、精神的な支柱として?リスペクトされる存在なのか、業態をアニメーション制作に切り換えた後もCEOに君臨し続けています。逆説的ですが、そこにこそピクサーピクサーであり続けた理由があるように感じられます。

ピクサーを上場させた後、エドは少し目標を見失っていた時期があるそうです。やがて、シリコンバレーとハリウッドの狭間にいて目の当たりにしてきた「成功者のジレンマ」にピクサーをいかに陥らせないか、それこそが自身の次の使命だと思うに至りました。

ティーブが「いつか作品がコケたら経営的に窮地に追い込まれる」と株式公開の必要性を訴えた際、「どうして作品は大ゴケするのか?」「コケない制作プロセスにできないのか?」と考えてしまうあたりに、エド特有の工学的なアプローチが感じられました。

その手法が成果を挙げると、凋落していたディズニーのアニメーションスタジオ再建を託されることになります。買収された側のピクサー経営陣が、買収した側であるディズニーの制作部門の再建を託される、という奇妙な買収劇は、他の関連する本も読んで多面的に理解したつもりですが・・・にわかには信じ難い、ビジネスの全体像がクリエイティブな問題解決でした。(その後、ディズニーのアニメは大復活を遂げます)

これらの本にはカネや権力にまみれるステレオタイプな人物が多く登場する一方で、違った価値観を追求するタイプの人物が何らかの巡り合わせで心を通わせ、信頼関係を築いていきます・・・それが歯車を逆回転させて新たな価値を生み出し、やがて双方の利益や業績拡大につながっていくのです。

ピクサーの歯車は「人間の弱さや愚かさ」を前提として、それに流されないように設計されていますが、それは決して人間性を否定するものではありません。むしろ人間愛に溢れているからこそ(?)関係者が不幸にならないように、意欲や成果を引き出す仕組みが考え尽くされています。

 

最後に、作品のストーリー(シナリオ〜ビデオリール)を練り上げる仕組み「ブレイントラスト」について紹介しておきます。ピクサーでは所属する監督や脚本家に、お互いの作品の企画に対して率直に意見交換させる文化があります。

  • 効果的でないシーンを分析する問題解決集団
  • 最大の特徴は、感情移入を促す各シーンを、メンバーたち自身が感情的にも自己弁護的にもならずに分析できる能力
  • メンバーは、ストーリーテリングに深い造詣があり、そのプロセスを経験している
  • 監督は、提案や助言に従う必要はない
  • 指摘は、特定の治療法を要求するものではなく、問題の本当の原因を浮かび上がらせるためにある
  • 卓越した作品づくりに向けて、妥協を一切排除するための仕組み
  • 問題の発見と解決という課題を与え、率直に話し合うよう促す

この「ブレイントラスト」の運営自体もルールは固定化されておらず、継続的な改善の対象になっています。エドや管理者層はこれを俯瞰的に見守り、制作プロセスの健全な運営と改良に努めるコミッショナー、チェアマンのような役割を努めています。 

  • 時とともに進化するにつれ、グループ内の力学も進化し、マネジメント側として継続的に注意を向けることが必要
  • 私の一番の役割は、会議の前提条件である盟約がきちんと守られるようにすることだと思っている。
  • 率直な議論の妨げとなる要因を完全に取り除くことができないことが経験上わかったからだ。
  • 学者は査読を通じて、その分野の他の研究者たちの論評を受ける。
  • ブレイントラストは、ピクサー版査読であり、処方の指示ではなく、率直な議論と深い分析によって、確実にレベルアップが期待できる討論の場
  • つくり手ではなく、作品そのものが精査される。この原則を理解させるのはなかなか難しいが、非常に重要だ。人とその人のアイデアは別物
  • 人ではなく、問題を見るようにする
  • ハリウッドでは、スタジオの上層部が試作をチェックするときには、批評を長い「メモ」にして監督に渡すことが多い。
  • 上層部のメモの中にはかなり的確で鋭い内容が書かれていることもある。
  • クリエイティブ側でない人々からのインプットへの恨みが加わると、芸術とビジネスの間の溝は埋め難いものとなる。
  • スティーブ・ジョブズピクサーのブレイントラスト会議に来なかった理由のひとつがそれだ。彼の存在が大きすぎて、率直な会話が困難になると私が考え、スティーブも同意した。
  • 物語のことは自分よりジョンたち物語屋のほうがよくわかっていると言って、彼らに任せきった。

 これらを「日本とアメリカの制作文化の違い」で片付けてしまうのは早計です。ディズニーの制作現場を視察に訪れたエドやジョンが目にしたのは、これらと正反対なカルチャーでした。それを彼らは徐々に「ピクサー流」に切り換えて再建を果たします。つまり「アメリカだから」「日本だから」ではなく、マネジメントの理念の問題なのです。

この辺りが、ぼく自身の体験(失敗したプロジェクトも含めて)と重なって、この本を開く度に深い感銘に包まれ、胸が熱くなります。