目覚めたのは11:00すぎ。
日曜朝ということで、ゴスペルを聴きにいく予定が寝坊。
すぐハーレムに向ったが、到着した時は12時をまわっていた。
一番賑やかな125stを歩いたが、ここに関しては危ない雰囲気は全く無し。アポロシアターは看板だけで建物の安っぽいこと。
ダウンタウンに向おうと地下鉄に乗ったが、またもや北上。
いくつもの駅に停まらず、175stで降りしばらく様子を伺ったが、やはり地下鉄の行き先表示などのシステムが理解できない。
ホームを歩いていると煙。やがて消防隊がごみ箱の消化活動。
ウォークマンをしながら歌っていた黒人が「ハーレムが好きか」「近所に住んでるのか」などと話しかけてきた。
無事にダウンタウン方向の列車に乗り、75stで降りる。
ブエナビスタ・ソシアルクラブの公演があるビーコンシアターへ。
大晦日だけはネットではチケットが売切れていなかったんだな。
しかし、窓口販売はしておらず「TKTS」などへの案内の貼り紙。
まあいいや、場所の下見ということで.....。
一気に南下し、この日もワールドトレードセンターへ。
しかし、この日はここの「TKTS」は休みだった.....。
表に出て、すぐ近くのウォール街まで歩く。
トリニティ教会の中でひと休みしてから、無機質なビルの谷間へ。
ニューヨーク証券取引所はカメラに収まらないので裏口を撮影。
上空は高層ビルがひしめき合う、無味乾燥な幾何学模様の世界。
バッテリーパーク脇のインディアン博物館でお買い物。
昔はインディアンの世界観に感化されたが、最近そうでもないか。
タイムズスクエアに戻ると「TKTS」が開いていたので聞いてみる。
無愛想に聞き返されたので「ブ・エ・ナ・ビ・ス・タ!」と大声で言うと、半額のディスカウントチケットが出てきた。とことんラッキーか。
周辺には柵が運び込まれ、カウントダウン会場の封鎖のために大勢の警官が終結し始めていた。
ビーコンシアターでブエナビスタ・ソシアルクラブを聞いて、その後 タイムズスクエアのカウントダウンを遠くから眺めようという作戦。
ホテルに寄って余分な荷物類を置き、地下鉄で72stへ。
時間ギリギリでビーコンシアターに到着し、カバンの中を捜すが チケットがない。どうやら、ホテルに置いてきてしまったらしい。
ダフ屋もいたがトラベラーズチェック以外に手持ちの現金は僅か。
取りに戻ろうにも、既にホテル周辺は交通規制されているはず。
どうあがいても仕方がない状態なので、あっさり諦めることにした。
× × × × ×
ホテル前の通りは完全封鎖され、ほとんど歩いている人がいない。
バリケードを通してもらうには、ルームキーやパスが必要なのだが、 ルームキーのカードにトラブルがあり、フロントに返したままだった。
カバンの中にあったホテルの住所が書かれたFAXを見せ、カタコトの説明を繰り返してようやく通してもらう。
部屋に戻ると、やはりチケットは他の書類に混ざってそこにあった。
がっくりしながら中を確認すると、チケットに書かれていた文字は「BEAUTY AND THE BEAST」 あ”ーっ、美女と野獣ぢゃないか!
ドッと疲れが出てきて、ベッドに倒れたままフテ寝してしまう。
× × × × ×
目覚めると11:40。テレビではカウントダウン会場の実況中継。
あと20分でニューヨークは21世紀を迎えようとしていた。
ホテルの前の通りとブロードウェイとの交差点に出れば、遠くにタイムズスクエアが見えるはず。急いでホテルを飛び出した。
交差点までほんの10m手前に鉄柵が設けられ、警官が3名。
パスなしには通してもらえず、タイムズスクエアは完全に死角。
バリケードと鉄柵の間の通路には黒人の婦人警官が仁王立ち。
何を言っても、「NO!」「NO!」を繰り返されるのみ。
もう遠回りをする気力もなく、途方に暮れてその場に立っていた。
空回りだったこの日の出来事を思い出しながら、20世紀最終日が ツイていなかったことにブルーな気持ちになりかけたその時、 一際大きな歓声が遠くから聞こえてきた。
・・・カウントダウンが始まった模様。
その瞬間、NOばかり繰り返していた婦人警官が笑顔で叫んだ。
「私の顔を見ないで!」
そして素早く持ち場を離れながら、行け!行け!と手で合図した。
映画のシーンのような光景に、今いるのが日本ではないことを実感。
自分と同じように、あちこちの路地から飛び出してきた人達と一緒に 遠くのタイムズスクエアを眺めながら21世紀を迎えた。
カメラマンになってあげたり、一緒に記念撮影に応じたりと、陽気な警官達は観光客のお祭り騒ぎに協力的。
集団や組織が形成されると、そこには必ず秩序や安全を守るための「ルール」が生まれる。本来の目的を失い、ルール違反者を罰することだけが目的になってしまった管理ほど、バカバカしいものはない。
様々な人種と文化で成り立っているニューヨークでは、日常から警官も法の存在の意味を考える機会が多いのだろうか、などということを考えながら、新しい時代の予感に浸った。