長い間、関心の的だった「認識論」についての講義を受けることができたので、その際に整理したメモを備忘録として:
念願が叶って学んでいるはずなのに、途中から説明を聞いているのが苦痛でたまりませんでした・・・こんなはずじゃ〜なかったのにと思いながら、ノートの整理がてら紹介された参考図書にも目を通してみたのですが、その中に「これだ!」と膝を打つ説明がありました。
古い認識論と新しい自然化された認識論との最も大きな違いは、自然科学との関係だ。古い認識論は自然科学をセンスデータから構成することで、自然科学を認識論の中に包摂しようとした。逆に、新しい認識論は、心理学の一章として自然科学の一部になる。そのこととひきかえに、自然化された認識論は、経験的心理学のデータや、さらには脳科学を利用することができるようになるというわけだ。
(戸田山和久「知識の哲学」 第8章 認識論の自然化に至る道 P172)
文学的に定義をこねくりまわす?ような行為に意義が感じられなかったのですが、ぼくの関心の対象はどうやら心理学的な実験や人間の感覚機能による「新しい認識論」なのだと確認できました。(長い回り道だったなあ・・・とほほ)しかし、脳に取り込まれた情報について、最終的にどのように「正当化」して「信念」とするのかは当事者の意思にも左右されるので、このあたりの考え方を知っておくことは無駄ではなかったはず、と信じたい!
<認識論まとめ>
JTB:知識とは、正当化された真なる信念(Justified True Belief)のことである。
・Belief 信念
・True 真理:真である
・Justice 正当化:理由がある(正当化されている)
懐疑論の解決策 1常識の擁護 2閉包原理の否定 3文脈主義 4外在主義
信念の正当化 J 知識に必要な「正当化」は、命題的では不十分
命題的な正当化 SはPを正当化する十分な証拠や理由を持っている
信念論的な正当化 〃 十分な証拠や理由を持ち、さらにそれらに基づいてPを信じている
正当化の「源泉」三つ巴:アクセス内在主義、メンタリズム、信頼性主義(外在主義の一種)
1)アクセス内在主義
主体Sの信念Pは正当化される SはPを正当化するものに反省的にアクセス可能である
Pを正当化するもの:心理的または非心理的な証拠や理由(気づいていないといけない)
2)メンタリズム
主体Sの信念Pは正当化される SはPを正当化するものはSの心的な状態に含まれる
(スーパーヴィーニエンス:もし任意の二人の可能な個体が心的に極めて類似しているならば、彼らは正当化される状態についても類似している)
3)外在主義
主体Sの信念Pは正当化されるとき、SはPを正当化するものをSの心的状態として持つ必要もなければ、Sはそれらに反省的・認知的にアクセス可能である必要もない
3a)信頼性主義(外在主義の一種)
主体Sの信念Pは正当化される PはSの信頼できる信念形成プロセスによって生み出される
信頼できる信念形成プロセス:知覚プロセス、記憶、推論、内観など
正当化についての遡行問題:信念を正当化する信念を正当化する信念・・・
正当化の「構造」三つ巴 基礎づけ主義(デカルト的、非信念的、穏健)、整合主義、無限主義
・基礎づけ主義
デカルト的:経験的な信念Pは、直接的もしくは間接的には、基礎的な信念によって正当化される
非信念的:経験的な信念Pは、直接的もしくは間接的には、それ以上正当化を必要としない所与への見知りによって正当化される
穏健:あらゆる経験的な信念Pは、主体SにPと表象される知覚経験によって一応正当化される
・整合主義:あらゆる経験的な信念Pは、Pが主体Sの信念体系の内部で整合性を持つことで正当化される
・無限主義:あらゆる経験的な信念Pは、Pを直接的または間接的に正当化し、Sに利用可能な重複しない信念の無限列が存在することで正当化される
ゲッティア学:ゲッティアの反例(ゲッティアケース)にどう対応するか?
知識はどのようなものとして分析されるか?
JTB理論の古典的分析を修正する、「正当化」の条件を修正する(「信念」と「真理」は据え置き)
・信頼性主義・説明主義的な証拠主義・独断主義・関連する代替可能性の理論・徳認識論
・知識第一主義:知識は分析の対象ではなく、分析の道具
アプリオリな知識:経験に頼らずに正当化された信念