Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

勝負哲学

 年始で積読を消化した中からの一冊。サッカーの岡田武史元日本代表監督と、羽生善治棋士の対談。将棋には詳しくないけれど、羽生さんの勝負師として実績は申し分ない・・・とか途中まで書いていたら、国民栄誉賞の受賞が決まったそうです。おめでとうございます!
 個人的に読みながら膝を打ったのは、防御と攻撃の違いについてのやり取り。

岡田 むろん、データはすごく役に立つものだし、勝利に不可欠なものであるのは間違いありません。とくにサッカーにおいては、ディフェンス戦術はデータにもとづいてかなりの部分を組み立てることができます。相手はこう攻めてくるから、それに対してはこう守れといった具合に、防御は確率論で相当程度カバーできるのです。
 ただ、攻撃はそうはいきません。攻撃を理屈でやると、すぐに相手に見破られてしまいます。したがって相手の陣形を崩す、突破する、そのようなオフェンスには、データや確率、理屈や論理を超えた要素が必要になってきます。つまり、ひらめきや直感などの非論理性が要求されるのです。
 一定水準まではデータ重視で勝てる。しかし、確率論では勝ち切れないレベルが必ずやってくる。そうして、ほんとうの勝負はじつはそこからだったーそう言い換えてもいいかもしれません。

羽生 つまり、少なくとも実戦においては、「論理」には思っている以上にはやばやと限界が来るんですね。おっしゃるとおり、理詰めでは勝てないときが必ず来ます。でも、ほんとうの勝負が始まるのはそのロジックの限界点からなんです。

羽生 とくに情報社会の進展によって、将棋の世界でも、定跡の研究や棋譜の分析が以前とは比べものにならないほど進んでいます。みんながインターネットなどを通じて、いろいろな指し方や戦法を「勉強」できる環境が整っているんです。
 そういう時代には、データ分析はもはや勝負の前提条件になっていて、それなしではそもそも勝負の土俵に立てないし、むろん相手とも互角に立ち会うことができなくなっています。
 しかし、よりやっかいなことには、そのデータも勝利への必要条件ではあっても十分条件ではありません。くり返しになりますが、勉強なしでは勝てないが、勉強だけでも勝てないんです。
 じゃあ、データに何をプラスすれば勝利につなげられるのか。そのプラスアルファが感覚の世界に属するものなら、そうすれば、数値化できない非論理的な力を味方につけることができるのか。そのことが大きな問題になってきます。

 防御しながらカウンターで点を獲るスタイルはもう確立したので、自分自身がストライカーとして積極的にゴールを狙うアプローチを身につけていきたい・・・新年というか、ここ数年の抱負として取り組んできたつもりだけど、なかなか分かりやすい結果には結びつかない。精進します。
 この対談が行われたのは2011年で、羽生さんは近年は人工知能への造詣も深く、岡田さんはFC今治のオーナーになって新たな経験を積んでいらっしゃるので、違った引き出しからのエピソードが出てくる気がします。時間を置いて、またこの両者には対談してもらいたいです。

勝負哲学

勝負哲学

 そういえば昨年、欽ちゃんのドキュメンタリー映画『We Love Television?』を観たのですが、準備段階で徹底してこだわっておきながら、本番は成り行きのアドリブやハプニングでそれを壊しに掛かる・・・最近のビジネスで大切と言われていることに近くて、やっぱり欽ちゃんは最先端だったと感じましたが、この本を読んで改めて「欽ちゃんは勝負師でもあった」と再認識させられました。
 
 『We Love Television?』http://kinchan-movie.com/