Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

西寧:塔爾寺(タール寺、クンブム・チャンパーリン寺)

 
 チベット特有の仏教芸術に対する興味と共に、中国を理解するために一度自分の目で確かめたいと思っていたのがチベットの現状だった。西安で仕事をすることになった時から、長期休暇などに絡めて拉萨(ラサ)を訪ねたいと思っていた。
 西安の仕事は2年余りの往復を経て「今後は遠隔サポートで何とかなりそう」という判断になり、デスクと借りていたマンションを引き揚げることになった。片付けのついでに念願のチベットへ・・・と画策してみたが、治安や政治的な事情から個人旅行では拉萨への入境許可証が発行される見込みはなく、念願の青蔵鉄道によるチベット入りは断念せざるをなかった。
 西安と拉萨の中間にある都市、西寧(シーニン)に大きなチベット寺院があると知り、せめてそこまで行けないものかと調べてみた。標高2000メートルを越えるいわゆる避暑地で、観光客が少ないオフシーズンの国内航空券、宿泊代は驚くほど安かった。急遽2泊3日の週末旅行を企てた。
 塔爾寺(タール寺、クンブム・チャンパーリン寺)
 西寧の空港にはあっという間に到着し、シャトルバスで市内に入った。バスから見える風景は異国情緒たっぷりで、乾燥した黄土色の小さな山々がむき出しで連なっており、平地に点在する郊外の集落にはモスクのような建物が頻繁に見られた。市内の繁華街もまだ垢抜けていない雰囲気で、何よりも街を行きかう人々の中にイスラム教徒の回族チベット族の民族衣装を着た人をあまりに多く見掛けるので驚いた。
 
 
 
 翌朝、塔爾寺(タール寺)には直行のバスは出ていないとのことで、慣れない土地でもあるため市内からタクシーを飛ばすことにした。
 あまり混まないうちに静かな境内を見たいと思い、まだ薄暗いうちにホテルを出発した。たまたま通り掛かったタクシーをつかまえて運転手と交渉、恐らく割高だったと思うが片道100元で手を打った。(同様に帰りのアシについても甘く考えていたため、後ほど痛い目に合うことになる)開門の1時間前に到着、現地では既に大地に平伏して五体投地を繰り返しているチベット人たちがいた。
 
 
   
 
 その様子に圧倒されてしばらく呆然と見守った後、寺院の周りに拡がる集落に向かって足を進めた。古びた飾りの門構え、僧侶の住居らしき建物が並んでいる通りから、遠くに見える寺院の金色の屋根を撮影したりしていると、おびただしいタルチョに覆われた山道にたどり着いた。
 
   
   
 
 寺院を大きくグルリと囲む山の中腹にあるその道は、巡礼ルートのようだった。寺院を時計回りに五体投地に励んでいる巡礼者を後ろから追い抜く形で見ながら前に進んだ。
 手と足に木製のパッドをつけて黙々と続ける汚い身なりの男性。小さな子どもを脇に立たせて話しかけながら身の入らない動作を続ける中年の女性。細かく編みこまれた長い髪、チベットの民族衣装に身を包んでストイックな雰囲気を漂わせる老婆。アメリカ国旗柄のコンバースを履いた若い女性は、その出で立ちと真剣な態度のミスマッチが印象的だった。一方で揃いのジャージを着た若い女子学生が何組かいて、まるで部活のように和気藹々と取り組んでいる様子は微笑ましかった。ちゃっかり者の漢民族だろうか、巡礼者に食事や飲み物を売りに来ている行商もいた。
   
    
 
 いったい巡礼者たちはどういう想いで五体投地をやっているのだろう、その行為自体には全く感情移入ができなかった。寺院周辺はあちこちで工事が行われており、路上に土埃が舞っている。そこに腹這いになり、額に埃をつけては前に進み立ち上がる意味が分からない・・・意味など考えてはいけないのかもしれないが。ヨガのスーリア・ナマスカーラA(太陽礼拝)と動作は似通っており、同じルーツから伝承されたと思われる儀礼があまりに過酷であることに「引いてしまった」のが正直な感想である。
 
 朝日が昇って日差しが強くなり始め、ちょうど周囲をひとまわりした頃に開門の時刻を迎えた。入場券を買って境内の中に進み、案内図でルートを確認すると、これまで歩いてきた巡礼ルートは観光客の立入禁止区域であった・・・知らなかったとはいえ申し訳ない。
 
 
 境内は撮影禁止なので(撮っている人も少なくなかったが)高まる欲求を抑えて自粛。いくつかの建物があったが、最初のふたつは古くから使われてきた建物なのだろう、長い歴史を感じさせる風格で、茶を燃やした煙が漂う境内には独特の雰囲気が漂っていた。(後から振り返れば、これらが「本物」だった)猛獣の古い剥製などが多く飾られており、権威を演出する意図からは統治との密接な関係、純粋な信仰とは異質な政治色が感じられた。少なくとも日本とは「仏教」の存在感が全く違っていることが実感できた。
 
 
 その後、大きな建物が2〜3続いたが、これまでより築年数はやや浅くなるものの本堂や修行の場として長く使われてきた風格が感じられ、装飾や仏像には年季が入っていた。
 
 本堂の周辺にはあちらこちらに五体投地するスペースがあり、手足を着くところだけ木の床が磨り減ってピカピカに光っていた。他所から来たと思われる僧侶や、多くの巡礼者がそこで五体投地に励んでいたが、今朝の雰囲気とは全く異なっていた。割と小奇麗な服装をした中年の女性は、ケータイが鳴ると動作を中断してその場で通話を始めた。そんな感じで雑談が多く聞こえ、五体投地という行為はしているものの、あまり真摯な信仰心は伝わってこなかった。地べたに額をつけて寺院の周辺を尺取虫のように進んでいた人々の真剣さと、入場料を払って境内で礼拝している人の態度には大きなギャップがあった。
 
 その後に続く比較的新しい建物、これらは近年になって建てられたのか歴史は感じられないものの、中にある豪華絢爛な金色の仏像群やタンカの数々は、チベット仏教芸術のアトラクションとして実に見応えがあった。金色(こんじき)は金箔ではなく塗料の金色(きんいろ)で、大きなプラモデルかフィギア、或いは映画の小道具を見ている感覚に近かったが、造形や色使いには日本人の常識を超えるものが多く非常に刺激的だった。また個人的にツボだったのは、装飾のデザインとして骸骨マークが普通に使われていたことで、生死や善悪がありのまま混沌と呑み込まれた世界観に改めて惹かれた。
 境内には多くのチベット僧侶がおり、監視や警備といった役割を交代で行っていたが、若い僧侶の多くは暇を持て余してスマホをいじっていた。遠くから見れば雰囲気を感じさせるエンジ色の法衣も、近くで見ると足元はスニーカー、上半身に纏った布の中には同系色のセーターやロゴの入ったトレーナーを着ている者が多く、思った以上にラフな印象だった。朝のストイックな巡礼者に比べると、コスプレの監視アルバイト程度にしか見えなかったのだが、たまに澄んだ目つきでオーラを放っている僧侶ともすれ違うので、これも多種多様。あるお堂の中を見ていたら、祭壇を片付けていた壮年の僧侶に持ちきれないほどミカンと梨を手渡された。お供え物としてひからびた果物ではなく、まだ瑞々しさがあったので早速ベンチに座って頂いたが、その僧侶も気さくないいキャラクターだった。
 
 本堂の近くにある古い建物では狭い階段で二階に上がることができ、そこに古くて小さな仏像がいくつか並べられていた。これが古来の仏像ではないか、とピンと来た。境内では5元で小さめ、10元で大きめのバター蝋燭をセルフサービスで買えるようになっているが、ここで初めてお供えをする気になって財布を開いた。(バター蝋燭は、模様の刻まれた金属製のカップに芯となる綿の紐と熱で溶かしたヤクのバターを入れて固めたもので、あちこちでこの作業をしているため境内がバター臭かった)
 
 最も新しい建物はだだっ広くて全てが金ピカ、豪華絢爛だがここまで来ると悪趣味にも思えて有難味が全く感じられなかった。境内にはこれから建設される予定の建物もあり、足元を石畳で覆う工事もあちこちで行われており、まだまだリニューアルされる模様。境内の一角には、寺院内で設立された建設会社の看板が掛けられていた。恐らく、ここ数年で境内の雰囲気は大きく変わってきたことだろう。
 
 
(写真下:看板には「青海塔爾寺古建築工程有限公司」の文字)
 ふと、朝の巡礼ルートで見た、山の中腹にある朽ち果てた寺院の跡を思い出した。本堂の裏側、ほんの少し高い場所に目を向ければ、目立たないだけであのような寂れた光景が広がっている。リフォームされ観光地化が進んでいるのは、参道に面した主要な寺院だけである。
 
 時代に合わせて変化を続けた結果がやがて「伝統」となっていく、そんなことがこの年齢になるとよく分かる。しかし、観光地化が進んでいく寺院内とそこで見た僧侶たちの様子は、早朝に見たストイックな巡礼者の姿に重ね合わせてみると、宗教と政治が不可分であるチベット族が置かれた複雑な状況を察して余りあった。
 
 ベンチに腰を掛けて休みながらそんなことを考えていたら、目の前をブランドもののバックを下げた女性がケータイで話しながら通り過ぎていった。本堂の前で五体投地していた中年の女性だ。彼女にとって信仰とはどんな存在なのだろう、想像ができなかった。

 寺院の周辺では、この時間になっても多くの人が埃の舞う石畳に額をつけて五体投地を繰り返していた。

>塔爾寺(タール寺)からの帰り道