言わずと知れた大ベストセラー:ウェブ進化論
新世代のネット社会に関する、ワクワクさせられるような未来。
本当にワクワクしながら読みましたとも。
ただ、書かれている「変化の到来」には共感しながらも、それを手放しで受け容れることができずにいる自分がいました。
淡い期待を抱いて読み進めながらテーマが核心に近づいた時、ずっと探していた「予言書」に劇的に出逢えたかのような感動を覚えました。
本を読んで、こんなに感動的な気持ちになれたのは極めて珍しいこと。
いろいろ身辺が動きつつある中、いい方向に流れている予感をくれたのは以下の記述です。
・・・リアル世界が関わる「オープンソース現象」を真に大きなうねりとしていくためには、「既存の社会の仕組みとの軋轢」と戦い続けるという強い意志だけでなく、「コスト構造の壁」を乗り越えるための資金調達力とマネジメント能力が不可欠となる。
狂気と理性の共存が絶対となれば、難しさの桁が一つ上がってしまう。(中略)
しかし「コストゼロ区間」たるネット空間では、誰かがやすやすとその難しさを越えてしまうことがある。そんなとき「既存の社会の仕組みとの軋轢」は、必然的に大きくなるのである。 P168
小さな失望と、大きな安堵感をくれたこの記述。
ぼく自身にとっては、この本のテーマはこの部分に凝縮されていたように感じられました。
よくよく考えてみれば、当たり前のことすぎて涙が出てきますが。。。
「オープンソース現象」の実現に不可欠とされるのは、
- 戦い続けるという強い意志
- 乗り越えるための資金調達力とマネジメント能力
そして、
- 狂気と理性の共存
だと綴られています。
理性と共存する狂気とは、論理性を突き抜けた先にある芸術的な領域、直観的な判断領域とも解釈することができます。
そして、その実現の暁に待っている課題は、
既存の社会の仕組みとの軋轢
という、結局のところインターネットとは別領域で生じる問題。
そうそう、そうなんだよね。
Win-Winで愛のあるメディア活用が「オープンソース現象」と同義であるとしたら、ぼくは21世紀に入ってから(大げさ?)実体験としてこのプロセスを通り抜けてきた気がします。
その結果として、テクノロジーの進化を追い掛け続けるよりも、むしろそれを受け止める側の「人間の心理」を理解することにこそ、ますます意義があるような気がしてならないわけです。
ネットの「あちら側」に行くのか、「こちら側」に留まるのか、そのどちらかを志望するのではなく、狭間で生じる軋轢に身を投じることにこそ、自分の存在を有意義なものにできると思うのです。
だから何だっちゅうわけでもないですが。