Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

台湾における下村湖人


 機会があったら読もうと思っていた本。懸案になっていた台湾出張が決まり、その機会が訪れたような気がしたので、往復の機内で読もうと購入。しかし、はじめて使ってみたLCCが6時間以上遅延したので、出発前に空港内でほぼ目を通すことになった・・・。

 自分の人格形成に、下村湖人から与えられた影響は計り知れない。生い立ちが重なる「次郎物語」に導かれ、「青年の思索のために」で何度も背筋を伸ばしてもらった。やがて「論語物語」で下村湖人の思想がそのまま孔孟の教えであったことを知る。その種明かしは、ちょっとした衝撃だった。
 amazonなどなかった時代、前後関係は定かではないけれど、多くの東洋哲学の本を読み漁ることになった。それが自分の背骨となっていったが、若くして古い価値観を抱えることでの悩みも多かった。「儒教 ルサンチマンの宗教」での孔子に対するクリティカルな批評、後に朱子学陽明学の違いを知るなどして、霧が晴れるまでに10年近い歳月を費やした。
 メンターとして自分を導いてくれた下村湖人の台湾における転機、それが「次郎物語」の後半に色濃く反映されたことは何かで知っていたが、その詳しい内容をようやく今回、本書で把握することができた。

台湾における下村湖人―文教官僚から作家へ

台湾における下村湖人―文教官僚から作家へ

 日本の台湾統治下という複雑な状況で起きた学内のストライキ事件、総督府からの過剰な干渉や現地の民族主義者による反日運動などにより、下村校長は政治的にうまく立ち回ることができず、自身の教育理念を打ち砕かれたことだろう。最後は独断で処分学生たちを復学させた上で、辞表を出して日本に帰国することになった。
 筆者は当時の下村校長の判断に、必ずしも適切ではなかった点があることも手厳しく指摘している。そして、前任者の三沢校長と比較して、後任の下村校長が「不人気により損をした」ことも推察して、下村湖人の人格の問題に触れている。

 三沢はなんといっても若い頃五年間をアメリカで過ごした英文の著書もある国際人であったが、国際人経験や国際的視野という点では下村はとても三沢に及ばなかったはずである。また、三沢が具えていた明朗闊達な性格も湖人には無縁であった。
 三沢には一種ハイカラなところがあり、このハイカラ性が若い人の心を捉えたと思われるが、下村の場合、思想のうえではともかく、外観のうえではこのハイカラ性は皆無に近かった。台高生徒の目には下村が三沢とはまったく別種の人間と映じたとしても不思議ではない。生真面目で几帳面な下村湖人は生徒をも含めた多くの人々に堅苦しく取り付きにくい印象を与えたようである。湖人のこの性格については永杉喜輔が次のようにまとめている。
 湖人にも、長い教員生活で身につけた、かたい教員のポーズがあった。それが、寄りつきにくい感じを人にあたえた。口の重いことも、気がるに近づけない原因のひとつだった。それよりも、子供のころ、身構えなしには生きていけないような環境に育ったことが、湖人にもともとそういうポーズをあたえてしまったのではないか。一見、冷静なポーズの中に、火と燃ゆる情熱をたたえていた。そしてその情熱は、きっかけさえあたえられると、いつでも勢いよくふき出した。(下村湖人伝)

 二度ほど佐賀県にある下村湖人の生家を訪ねたことがある。次郎が卑屈な感情を抱えて、ひとり過ごす場面は数多くあるが、現存された舞台でその場面がありありと浮かび深い感慨に浸った。下村湖人の人格に対する指摘は、まるで自分に向けられたものであるように心に刺さる。

 短歌のペンネームとして使っていた虎人(本名の虎六郎からの由来)を日本に戻ってから湖人に変えた心境は、察するに余りある。
 それにしても、この数年間で自分は海外に関わる仕事で紆余曲折があった。その中で味わった複雑な感情まで、またしても下村湖人をなぞらえるとは・・・。先人が晩年に書き遺した想い、それを自分の宿題として少しでも違う心境に辿り着きたいと思うに至った。

 筆者の張季琳さんは台湾人の研究者で、史実を調査して論文に近い形式で非常に詳しく、客観的に記載されている。母国語でもない日本語でこの分量、細やかな言葉遣い(日本人である自分が辞書を引いて読んだw)には敬服させられた。語学力を磨いたのは努力の賜物だろうが、それ以前の才能に圧倒されてしまう。現在は台湾の中央研究員に籍を置かれている。
下村湖人の台湾経験(2004年度財団法人交流協会日台交流センター歴史研究者交流事業報告書)

論語物語 (講談社学術文庫)

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[新装版]青年の思索のために

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儒教ルサンチマンの宗教 (平凡社新書 (007))

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