Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

ビジョナリーカンパニーだった?日立の創業精神

 『東京電力ホールディングス会長に、日立の川村名誉会長が就任か?』・・・このニュースに驚きました。ハイジャック機にたまたま乗り合わせた体験が日立の社長就任につながるエピソードもドラマチックでしたが、ご本人の職歴を考えると、この展開にも運命的なものが感じられます。
 日立本体をV字回復させると間もなく子会社に身を引き、経団連の会長に声が掛かっても固辞されたらしいので、今回の要職を引き受けるにあたっての決意の大きさが窺えます。メディアに出ない方なので人物像は間接的に知るしかありませんが、実務家として発電事業に長らく携わってきた川村会長が、震災による原発事故を経て様々な問題に直面している東電をどのように指揮していくのか・・・熱く!見守りたいと思います。

100年企業の改革 私と日立 ―私の履歴書

100年企業の改革 私と日立 ―私の履歴書

 ところで昨年、古本屋からこんな本を取り寄せました。こうして改めて創業期の日立精神に触れてみると、今回のニュースにも繋がる気がしました。

落穂拾い (1966年)

落穂拾い (1966年)

 『落ち穂拾い』著者:馬場粂夫・・・市販されたものではなく、社内行事の記念品か何かだと思います。馬場粂夫博士については、日立変人会改め返仁会のホームページに詳しく紹介されていますが、大変ユニークな方だったようです。 
 我々の世代ではSONYがイノベーターとして現在のAppleのような存在に君臨していましたが、既に大企業になっていた日立でも創業期の幹部が「変人たれ( ≒ Stay foolish !!)」と吠えていたのは面白い事実です。

 自分が日立製作所に在籍していた頃は創業から70〜80年が過ぎて、いろいろと組織に制度疲労が起きていた頃だったのかもしれません。品質改善の心構えを示す「落ち穂拾い」はスローガンのように丸暗記させられましたが、背景にある考え方などは多く語られることなく、魂の抜けた念仏のようになっていました。
 こうして改めて馬場粂夫博士の原文に目を通してみると、東洋哲学(儒学、仏教)が頻繁に引用されていることに驚かされます。これは戦前からの道徳教育に加えて、安易に欧米の技術をコピーせず、日本独自に育もうとした創業期の開発方針とも関係しているかもしれません。精神修養のような社内教育が、従業員の成長と共に企業の発展につながった古き良き時代を感じさせてくれます。


 この社風が世代毎、事業部毎にどう受け継がれていたのか、大きな会社なので全体像は分かりませんが、少なくとも自分とは相性が良かったようです。入社して2〜3年で社会人としての意識が大きく変わった自覚があります。
 ひとたび事故を起こせば人命に関わる製品も多かったので、特に品質管理については厳しく躾けられました。退職して20年余りが過ぎても世間一般ではその手法がまだ武器として使えることには感謝しています。社会的責任(今で言うコンプライアンス)についても高いハードルを課す会社でしたが、叩き込まれる規律と当時の職場の実態には矛盾を感じていた記憶があります。

 後に正反対な体質のベンチャー企業、デジタルな業界に転身した自分は最早エンジニアではなくなりましたが、組織や人のマネジメントに注力しながらITバブルに翻弄された現場に心を痛めました。そんな経験を通じて読書や思索を重ねて探し出した価値観は、とっくの昔に馬場大変人が書き残していました。


 もっと早く、できれば在職中に出逢っておきたかったですが、松下幸之助翁のように広めなかったあたりが日立人らしさかもしれません。陽明学唯識・・・合理主義者であるはずのエンジニア、日立の中央研究所のトップが、これら東洋哲学の精神を次世代に伝えていた意図は一体どこにあったのでしょうか?

 シリコンバレーのエンジニアの間でも、最近は東洋のカルチャーに揺り戻しが起きているそうですが、感覚的によく理解できます。もしかすると、これからのデジタル産業の中で、非デジタルな引き出しが役に立つ時があるかもしれません。

 何かと短期間での見返りを求めざるを得ない世の中ですが、こと「人を育てる」に於いては、組織の枠や世代すらを大きく越えるものだと思います。川村改革を振り返った本は、創業者:小平浪平翁の人柄や創業の精神からの大河ドラマですが、震災を経て東電改革につながるシナリオは、創業者のビジョンを超えたものになるのではないでしょうか。

異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日

異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日

 一昨年、これらの本を読んだり、取り壊される母校を訪ねたりして、前職時代を懐かしく振り返る機会がありました。(それが本を取り寄せたきっかけです)長い年月を経て、古巣に対する想いと共に、当時の環境や出逢いに「運が良かった」と改めて感謝しています。先人に対して不義理した分、自分よりも若い人に返したいと考える今日この頃です。