Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

昭和16年夏の敗戦・・・を読んで令和2年に考えたこと

 長らく積ん読されていた猪瀬直樹著「昭和16年の敗戦」を今年の終戦記念日に合わせてようやく読了しました。

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)

 

 道路公団民営化の頃から猪瀬氏のファンで、副知事時代には東日本大震災のフレキシブルな対応にも感銘を受けました。既存の政治家にはない感覚と実務能力に期待しましたが、それ故に「満を持して」出馬したかに見えた都知事選の資金問題で足下を掬われたのは残念でした。

 今にして思えば、政治の世界の裏を知り尽くしたブレーンが必要だったのかもしれませんが、そこに「驕り」があったと認めるように多くを語らず、潔く身を引かれたように見えました。(当時、手に取った新刊の『東京の副知事になってみたら』『突破する力』からは溢れ出る自信を感じて、頼もしさと共に既得権側の政敵を刺激しないか不安になった記憶があります。)疑惑が報じられた直後、匿名の都庁職員の証言も流れましたが「態度が傲慢である」といった内容のない人格否定で印象操作のように感じられました。

 辞任後に出版された『さようならと言ってなかった』を読んでゲンロンカフェで行われたトークショーにも参加(突破する力 - Réalisation)したのですが、既に購入してあった旧著をなかなか読む心境になれないまま、こんなに年月が経っていました。好評価はたくさん目にしていましたが、収穫が多かっただけに「もっと早く読んでおけば良かった」です・・・。(※当時、猪瀬事務所に直接注文するとサイン入りの本が届いたのですが、今はそういったサービスはやっていないようです。) 

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 日米開戦の経緯を振り返ると、昭和天皇が陸軍トップの東條を総理に任命したのは「開戦強行派を抑えて御前会議の決定を白紙撤回する意図」があったのに、東條の新内閣で覆せなかったことが大きな分岐点のひとつです。その曖昧な意思決定のプロセスが天皇の責任問題にもつながっているわけですが、そもそも消極的な人選で陸軍トップに就いていた東條が同様の理由で総理まで登り詰めたのは運命のいたずらとしか思えません。

 また、この本では若手官僚などによる「総力戦研究所」模擬内閣の演習で敗戦濃厚とするデータが発表されて、当時の東條陸相が講評を行った事実などから「軍部にも同様の認識があった」ことを明らかにしています。なぜ開戦を回避できなかったのか?という問題意識は、組織の意思決定と責任における「普遍的な課題」をあぶり出します。

 数字というものは冷酷だと、しばしばいわれる。数字は客観的なものの象徴であり、願望などいっさいの主観的要求を排除した厳然たる事実の究極の姿だと信じられているからである。数字がすべてを物語る、という場合、それはもはや人知を超えた真理として立ち現れている。数字は神の声となった。
 しかし、コンピュータが、いかに精巧につくられていても、データをインブットするのは人間である、という警句と同じで、数字の客観性というものも、結局は人間の主観から生じたものなのであった。(第二章 イカロスたちの夏)

  現実的には、当時の日本にとって石油の調達が最大の問題で、その概算シミュレーションが開戦の決め手になったわけですが、資料を提出した企画院総裁は後に「そういうムードで資料を出せと言われた」と辻褄合わせの数字であったと証言しています。

 ”事実”を畏怖することと正反対の立場が、政治である。政治は目的(観念)をかかえている。目的のために、”事実”が従属させられる。画布の中心に描かれた人物の背景に、果物や花瓶があるように配列されてしまうのである。(第三章 暮色の空)

 ここまで知り尽くしていた猪瀬氏が、実際の政治の現場で失脚してしまった事実に暗澹たる気持ちになりますが・・・そして、現在進行形で繰り広げられている新型コロナウイルス対応での「数字」や「事実」の取り扱いを見ても、この課題は何も進歩していない(つまり、今後も解決できない可能性が高い?)ように感じられます。

 個人的には、開戦に至った複雑な経緯よりも、それ以前の対米交渉のボタンの掛け違いが残念に感じられました。そちらの方が問題意識としては大きいので、渦中にいた松岡外相のことなども機会があれば学んでみたいと思います。

 

 しかし、改めてぼくの中では、新内閣に開戦反対論者が複数いながら「どうして誰も空気を変えられなかったのか?」という違和感が拭えません。総力戦研究所の模擬内閣では本音で開戦反対論が飛び交っていたのに(本物である)東條内閣では誰も反対意見を唱えなかった・・・空気を読める人物でなければ閣僚になど選ばれない、だからこそ誰も本心を口に出せなかったのは皮肉なジレンマです。

 開戦の種を撒いた自己主張の強い軍人や閣僚が排除されて、開戦の芽を摘もうとした時には無難な人選のために空気を変えられなかった・・・こういった振り幅の大きい二元論的な人事で組織が揺さぶられると、数字やデータはもはや効力を持ちません。敗戦の主要因とされる兵站ロジスティクス)軽視は、既に開戦の条件に含まれていた必然のように感じられます。

 

 さて、ぼく自身はこれまで、実際の仕事のマネジメントで「あえて反対意見を引き出す」「反対の場合は意見を表明する」ことを意識的にやってきました。処世術としてはリスクがあり、実際に痛い目にも遭ってきましたが、いつの間にそれを善しとする価値観に染まってしまったのか?・・・改めて自問してみました。

 ひとつは「根本的、本質的、創造的な問題解決」の手段を得るため。

 もうひとつは「組織としての大きな失敗」を避けることが最善策、という考えです。

 軍事マニアではありませんが、ぼくの頭の中には四半世紀ほど前からいくつか太平洋戦争で日本が敗れた要因が入っていました。それは、堺屋太一著「組織の盛衰」、そして野中郁次郎先生を知るきっかけとなった「失敗の本質」を読んだ経験から得られたものです。 

 

 特に「組織の盛衰」で「ゲゼルシャフト(機能体)とゲマインシャフト(共同体)」の概念を知った影響は大きく、後に大企業を辞めてベンチャー企業に飛び込む動機につながりました。それ以降は、とにかく「成果を出す(≒大きな失敗を防ぐ)こと」にフォーカスして、事実(ファクト)の共有を心掛けてきた気がします。

 振り返ってみると、これはプレッシャーの大きなプロジェクトでは常に功を奏しましたが、なぜか一方ではいくら周囲とうまくやっていてもネガティブな評判(人物評価)が流れました。それは実務には全く影響ありませんでしたが、時には急転直下の不可解な人事などにつながってしまいました。

 ビジネスの現場では常に成果が求められるものですが、そこには「本音と建前」が潜んでいます。予定調和が優先される体質(ゲマインシャフト:共同体)が存在しているのが現実の社会です。状況を汲み取って適切にモードを切り替える(手心を加える)ことで、不用意なトラブルを避けることが「空気を読む」ことの本質なのかもしれません。

 結果的に、自分自身の経験からも「予測された失敗」を回避する難しさが立証されてしまいましたが・・・この深い感慨は、数多くの実践経験を積まなければ得られなかったものです。そういう意味では、機が熟してようやく読むに至ったことで、この本から得た収穫がより大きなものに感じられたのかもしれません。