Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

原発問題とメディアリテラシー

 紀伊國屋ホールで開催された田坂広志さんの講演会を拝聴して、購入してきた本を仕事の合間に読みながら、感想をしばらく頭の中で寝かせていました。

 田坂さんの著作はこの10余年で何冊か拝読して、ネットラジオなどはほぼ漏れなく拝聴しています。
 技術者としてのバックボーンがそうさせるのでしょう、冷徹でロジカルな観察と、人や組織の非合理的な面を包み込むバランス感覚、常に全体像を俯瞰して時代を捉えようとするスタンスは、深い共感や気づきをもたらしてくれました。

 そんな稀有な存在であった方が、非常事態を機に内閣官房参与になられて原発対応の最前線にいたのですから、誰を差し置いてもその話を聞きたかったわけです。妄信的に信じることはないにせよ、嘘をついたり、恣意的に歪めたりする人ではない、そんな信頼感を持てる田坂さんから情報を得ることで、他からの情報を検証できると思いました。


「Unfinished Business :卒業、解決していない宿題は追いかけてくる」

 講演の冒頭で仰られていたこの言葉から、この問題に取り組む姿勢、抱いている使命感はしっかりと伝わってきました。そして、10万年以上を要するという核廃棄物処理の研究を通じて、これまでの著作などから感じられた宗教的とすら思える「時代を俯瞰する視座」が醸成されたことを再認識させられました。

 これまで、メディアを通じて散々述べてこられたように、『技術的な問題でなく、人的・組織的・制度的・文化的問題』といったスタンスから個別の問題提起をされているのですが、近年の田坂さんは人間と組織についての研究も重ねてこられたので、その難しさをよく理解されているのでしょう。
 それらの問題をどのように解決していくのか、具体的な提案が用意されているわけではなく、突き詰めてしまえば「一般大衆の意識変革」を訴えるような幕切れになっていました。

 特定個人や団体、組織を名指しで批判することを避ける余り、論評としての切れ味も全く感じられませんでした。『官邸から見た原発事故の真実』というタイトル(出版社がつけたのかもしれませんが)にしては、当たり障りない評論の域を出ていない気がして、少し物足りなく感じてしまいました。

 しかし、よくよく考えてみると、これが本質なのだと気づかされます。

  • 原発の推進派にせよ、反対派にせよ、人類の共通の課題は「放射性廃棄物の処理」であり、近い将来に技術的に根本解決できる見通しはまだまだ小さい。
  • なので、既に存在している分も含めて、我々の世代で放射性廃棄物をどのように扱っていくのか、というオペレーションの問題である。(それが今回の震災によって一気に表面化してしまった)
  • この観点からは、再稼動の有無は大きな問題ではない(稼動の有無に関わらず、いま現在も燃料プールにむき出しの使用済み核燃料が大量に存在している)のだが、被災地や反対派の心情は論理で押し切って説得できるものでない。
  • そんな現状を共有できたとして、段階的な対処方法を決めて、それに理解を得て実行していくのは、真摯に取り組んだとしても非常に困難な作業である。
  • その上、経済面や政治利用など利害関係が絡むことで、更に問題を複雑化させてしまう。

 これら全てを見通した上での解決と考えると、田坂さんの心境を少しは理解できた気になれます。そもそも、原発を推進してきたものは人間のエゴで、この問題と真摯に向き合うことは、人間のエゴとの闘いなのです。

 立場や役割の違いを越えた相互理解には時間を要します。ビジネスの現場でも似たような状況に直面することが多いですが、拙速に解決しようとすればするほど、むしろ軋轢を増やすばかりで解決から遠ざかっていくものです。

 被災地の支援という緊急性が求められる問題と、長期戦で取り組むべき原発関連の諸問題、これは区別して取り組むべきものでしょう。
 自分の中で考えがまとまってきたのと同時に、私淑する田坂さんに一瞬抱いてしまった「物足りなさ」はブーメランのように跳ね返ってきました。


 奇しくも同じように内閣府参与になられた湯浅誠さんのブログに、下記のような記述がありました。内閣府参与辞任について(19:30改訂、確定版)

 あたりまえのことしか言っていないと思うのですが、実際にはそのあたりまえが通用しない局面があります。現実的な工夫よりは、より原則的に、より非妥協的に、より威勢よく、より先鋭的に、より思い切った主張が、社会運動内部でも世間一般でも喝采を集めることがあります。そうなると、政治的・社会的力関係総体への地道な働きかけは、見えにくく、複雑でわかりにくいという理由から批判の対象とされます。見えにくく、複雑でわかりにくいのは、世の利害関係が多様で複雑だからなのであって、単純なものを複雑に見せているわけではなく、複雑だから複雑にしか処理できないにすぎないのですが、そのことに対する社会の想像力が低下していっているのではないかと感じます。(終盤から抜粋)

 湯浅さんについては詳しく存じませんが、社会活動家として在野で吼えるだけでなく、政府の中に入って国と一緒に取り組んでいく姿勢には共感します。また、そういった貴重な経験を踏まえた上での発言は、立場を超えた意味のあるものとして重く受け止められるべきでしょう。


 飛躍的に進化した情報通信のテクノロジーは、震災後にも大きな役割を果たしてきました。メディアの在り方も変わりつつありますが、「情報の伝え方」や「情報を受け取る側の意識」といった課題は膨らむ一方ではないでしょうか。
 そして、それが自分にとっての Unfinished Business のような気がします。

官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機 (光文社新書)

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いかに生きるか

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