Réalisation ॐ

永遠の相のもとに 〜 Sub specie aeternitatis 〜

八百万神(やおよろずのかみ)信仰

 先日、はじめてバリ島に行ってきました。

 目的は「ビーチでリゾート」ではなく、ヒンドゥー教とヨガ。(それでもビーチ沿いのスタジオでヨガした後に散歩して、人気のないところでパンツ一丁で海に入ったので真っ黒に日焼けしましたが・・・)

 この半年くらいで新しいパズルのピースが増えて、それが自分の中で出揃った感があったので、あとは統合(インテグレーション)するだけ・・・という感覚でした。課題を自分の内面に抱えて悶々と考え込むことは大切で、思考を濾過していく過程で得られる価値も知っていますが、自分の身体を異空間にポン!と放り込むことで得られる新たな視座、ひとりコラボレーションから「ひらめき」が生まれることも経験的に知っています。後者の機運を迎えている気がして、旅に出るタイミングを探っていました。
 仕事のスケジュールが「待ち」のタイミングで、閑散期の投げ売り?航空券が出ていたので抑えました。ホテルは予約せずドミトリーに飛び込みで宿泊、マラソンシューズでバックパッカーしてきました。スマホから連絡はできるので、ノートPCも持たずに軽装で出発。4日間の滞在で総予算は航空券込みで5万円ちょっと。国内旅行よりも安上がりだったんじゃなかろうか?

 クタ、サヌールウブドスミニャックと廻って、現地のヨガスタジオにドロップインすること4回。ガイジンに混じって恥をかいてくるつもりが、自分もガイジンでした・・・アウェー感は最初だけ、周りに誰がいるか、自分がどこにいるかは、ヨガをやっている時はあまり関係ないと学びました。



 自然に囲まれた抜群の環境で、大いに満喫してきました!


 足がマメだらけになり足底筋にも痛みが出て、最終日はびっこを引いて歩いていましたが、それでも少しでも多く現地の雰囲気に触れていたかったのは、生い茂る熱帯の植物と多くの史跡や石像(お店のディスプレイも含めて)が醸し出す『ヤオヨロズ感』がハンパなかったからです。



 ヒンドゥー教の神々は異国情緒たっぷりでしたが、どこか親近感を覚えました。「多神教」というコンセプトから伝わってくる共感でしょうか?

一神教が砂漠の宗教であるのに対して多神教は農耕社会に多くみられ,配偶神や親子神のように地上的・現世的な性格を多分にもっている。日本の記紀神話にあらわれる八百万神(やおよろずのかみ)の世界も多神教の一種であるが,その神々は古代ギリシアの宗教やインドのヒンドゥー教における多神教とは異なって,肉体的な特徴や個性をもたず,目にみえない存在であった。また日本の神話には世界を創造する造化の神や自然神が登場するが,その多くは祖先神(または氏神)であって,山や森などのある特定の場所に鎮(しず)まり,個性や機能を強くは主張しない存在とされてきた。…
 世界大百科事典内の八百万神の言及【多神教】より コトバンク


 自分はこれまで、無神論者、無宗教だと思い込んでいました。
 なるべく論理的に、合理的に問題解決することが信条で、盲目的に何かを信仰したり、念仏を唱えて神仏にすがったりするのは迷信だと考えています。法事には出ても、いわゆる葬式仏教で「信仰」とは少し違います。

 近視眼的な利潤追求に対する拒絶反応、経営成績(数字)のためとはいえ「やってはいけないこと」があると考えるのは、工学的な「自然科学の掟」を理論や経験値として持っているからで、思想信条の問題ではありません。
 しかし、破綻すると分かっていてアクセルを踏み続けるような状況に置かれた場合に、そこで踏み止まるか否かの判断は「信念」の問題です。そういった倫理観のようなもの、人事を尽くして「天命を待つ」感覚は「信仰」に近く、そこでの「異文化ギャップ」は日本人同士でも世代や出身地、家庭環境の違いで生じているように感じます。

 文化の異なる外国人との仕事の方がストレスは少なく、日本人との間にストレスを抱えてしまう傾向が強かったのですが、その原因が自分の「信念」にあり、それをごちゃごちゃ解説するよりも「八百万の神」信仰だと認めてしまった方が、周囲との区別(差別化)が明確になり、何より自分自身がスッキリできる気がしてきました。(だからといって神道を信仰できるかというと、全く違うのですが・・・)

 海外と仕事をする中で『イスラムだから酒を飲まない』『ユダヤだから今日は働けない』といった宗教上の権利は当然のものとして周囲から認められていました。同じように『八百万の神だから』故のサスティナブル志向を信仰と捉えることは、政治的・思想的な切り取られ方よりもマイルドで、環境問題などの見方も変わってきます。「信仰があるけれど自覚していない」ことで生じる違和感を、多くの日本人が抱えていないでしょうか。

 また、その無自覚が、外国人から見た「日本人の分かりづらさ」につながっていると感じます。

 帰国してから知ったのですが、インドネシア全体はイスラム教徒が大多数な中で、バリ島だけがヒンドゥー教であり、それも土着宗教を取り込んで独自に進化した「バリ・ヒンドゥー」なのだそうです。異なる宗教が排除されず、取り込まれてしまう懐の深さは日本にも通じるところがあります。「最近はリゾートだけでなく、ヨガをやる人が世界中から集まっている」と知ってバリ島に狙いを定めたのですが、これは思わぬ収穫でした。

 なんか全然、「バリ島の旅」って感じの話じゃないな・・・w

 ・・・ビーチの写真でもご堪能ください。

※余談・・・冗談半分で「老後は南の島でホームレス」などと言い続けてきましたが、なんだかんだと描いたイメージが現実になる人生を送ってきたもので・・・その可能性もゼロではない以上、リサーチしておく必要がありました。
 早朝に ングラ・ライ国際空港 に到着して、そのまま明るくなっていく中を歩いてクタのビーチに辿り着きました。浜辺を散策しながらセンパイがいないか探したのですが・・・しばらく歩き続けて遂に発見!!

 いました、いました、センパーイ!
 
 センパーーーイ!!

 年金がなくても生きてはいけそうなので、老後はひと安心です。