伝説化されつつある?オシム元監督の「水を運ぶ」というサッカー界の慣用句、これはチームに献身的に尽くす姿勢を指すことが多いようですが、コロナ禍でオシム本を何冊か読んだ中に明記されていたのでご紹介します。
私は以前はジェフ、今は日本代表に携わっているが、常々感じているのは、どちらも試合中に選手同士がコンタクトを取り合うことが非常に少ないということだ。プレーが中断しているときにも話し合うことはしないし、プレー中にお互いが声を掛けることもしない。
「やめろ!そこは危険だ!」「いや、その(相手)選手は放っておけ!」日本において、こうやって怒号を上げているのはゴールキーパー1人だけである。なぜなら、いざという時、彼が最も危険にさらされる立場だからだ。ゴールキーパーほど危険にさらされていない他の選手たちは、何かを感じているはずなのに黙り込んでいるが、それは私のチームでは絶対に許されないことだ。お互いのコンタクトは一見小さなことのように見えるが、実は多くの場面で選手を大いに助けることになるのだ。これが、「水を運ぶ」ということであり、助けるということなのである。この助けがないために、試合に負けてしまったら、それは選手全員の責任になる。ある選手が水を運べないのであれば、サッカーというチーム競技をプレーしているということにはならないのだ。
日本人の「責任」の考え方に一石を投じる内容として出てきました。この本は深い洞察力で「日本人らしさ」を見つめ直しており、サッカーと直接的に関係なく(哲学、社会学的な意味で)耳の痛い指摘がたくさん書かれていました。